本堂
本尊の観音像を祀るため観音堂とも呼ばれています。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で、近世の大型寺院本堂の代表作として国宝に指定されていましたが1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼失しました。現在の堂は1958年(昭和33年)に再建されたものです。
外陣には川端龍子筆「龍の図」、堂本印象筆「天人散華の図」の天井画があります。
本堂正面
内陣中央には本尊を安置する間口4.5メートル、高さ6メートルの宮殿(くうでん、「厨子」と同義)があります。宮殿内部は前の間と奥の間に分かれ、奥の間に秘仏本尊、前の間には「お前立ち」の観音像が安置されています。
今年一年の家族達の「家内安全」「無病息災」を祈りました。
堂本印象筆「天人散華の図」
川端龍子筆「龍の図」
初めて知ったのですが、本堂の左横に「浅草寺境内案内図」が立てられていました。
初めて来られる参詣客にとってはありがたい案内図です。
影向堂-十二支生まれ年守り本尊のお堂(ようごどう)
平成6年、浅草寺中興開山慈覚大師生誕千二百年を記念して建立された「影向堂」は内陣に聖観音菩薩像とその左右に十二支生まれ年の守り本尊八体の像が祀られています。
浅草神社
本堂の東側にあります。
浅草寺の草創に関わった土師真中知(はじのまなかち)、檜前浜成(ひのくまはまなり)・武成(たけなり)を主祭神とし、この三人の霊をもって「三社権現」と称されるようになりました。 明治の神仏分離以降は浅草寺とは別法人となっています。
伝法院通り
伝法院は宝蔵門の手前西側にあり、浅草寺の本坊ですが一般には公開していません。
その横の伝法院通りをのんびりと歩きました。